蒸気機関車たちとのこと

2021年12月15日/ 矢口徹也

中学、高校時代の私はひたすら蒸気機関車を追いかけていた。現在もイベントでの復活運転はあるが、40余年前、本物、現役で運転されていた時代のことである。趣味、ファンというレベルではなく、毎日、いつも、汽車のことばかりを考えていた。その頃でも、現役の汽車は、北海道、東北などの遠隔地のみの存在だったので、会えない日々は、列車の運行ダイヤ、国土地理院の地図で撮影旅行の妄想をしていた。遠距離ゆえにより想いは募り、夏、冬休みに再会した時は、思わず涙があふれてしまう…ほとんど「病」だった。年に数度の旅先では、夏の海辺の快走、吹雪の峠の驀進、黄昏時のシルエットなどに魅せられて夢のような時間を過ごした。今、振り返っても感動が蘇ってくる。

湧網線

流氷のオホーツ海沿いを行く 湧網線(能取-常呂・1975、撮影:矢口徹也)

汽車を追いかける中で、鉄道で働く大人たちの姿をまぶしく感じることも出来た。機関士さんたちは大変な重労働で、制服は、煤と油だらけだったが、出発前、ハンマーを叩きながら車両を点検し、発車時に前方を注視する姿は凛々しかった。また、ひとつの車両、列車を安全に動かすために、機関区、駅、線路で多くの大人たちが黙々と働いていること、そのための制度やしくみの緻密さに気付くことが出来た。働く大人たちは格好良いと思った。

旅先では、忘れられない体験が出来た。限られた小遣いだったので、夜行列車、駅の待合室での連泊を続けたが、見ず知らずの多くの人々の親切に助けられた。車内で隣合わせたおばあさんからゆで卵やみかんをいただき、暑い夏には、駅の食堂のおねえさんが水筒に氷をたくさんつめてくれた。厳冬の音威子府駅では、大学生が奢ってくれたネギ大盛の立ち食いそばで身も心も温まった。

湧網線

夕暮れの網走川橋梁 湧網線(二見ヶ岡-網走・1975、撮影:矢口徹也)

多少、言い訳がましいが、汽車好きという「病」のおかげで、中学、高校時代の私は、仕事、社会、人と人とのつながり、それらの大切さを発見することが出来た。学校では学べない、実感できない大切な経験が出来て本当に良かったと思う。また、この齢になって、私の無謀な行動を黙認してくれていた両親に感謝している。

それゆえ、これからは、何かに夢中で取り組んでいる子ども、若者たちを応援しなくては、と考えている。

 

著者プロフィール

矢口徹也 (やぐち てつや)

教育・総合科学学術院 教育学部 教授
専門分野:社会教育(青少年教育論,女性教育論)
https://w-rdb.waseda.jp/html/100000529_ja.html