夏合宿の平等論議

2021年10月21日/ 吉田文

夏合宿 バスケットボール

毎年の夏休み,2泊3日,3・4年合同でゼミの合宿をやっていた(コロナの前までは…).2日目の午後は,恒例のレクリエーション.ある年,バスケット・ボールをやることになった.さすがに私はついていけない.少数派である女子学生も躊躇する.女性陣は応援に徹しようかとなった.その時,企画係が言った.「いや,全員参加でやろうよ.」「でも…」「ルールを変えればみんな参加できる.男性が女性に触れたら,退場.女性のゴールは5点,先生がゴールしたら10点.」「じゃあ,やってみようか.」変則ルールのバスケットは,楽しかった.メンバーの配置次第の得点なので,作戦会議が大事である.

もっと面白かったのは,その日の夕食後,夜のリラックスモードでの学生たちの会話であった.

「皆が同じルールのもとに置かれていることが,平等の基本条件だと思っていたけれど,昼間のバスケットのように,その人に合わせで少しルールを変えれば,皆が参加できて皆が楽しめることって世の中にたくさんあるんじゃないかな.」

「でも,その人に合わせてと言ったって,一人一人に合わせたルールなんて作れないよ.何を基準にして,一人一人に合わせることができるの?」

「一人一人に合わせることはできないかもしれないけど,いくつかのカテゴリーを作って,カテゴリーごとにルールや基準を変えるなら,何とかなるんじゃない.たとえば,バスケットの時のように,ハンディがある人のこと考えるって重要だよ.そっちの方が平等じゃない.」

「でも,そうしたら,あるカテゴリーに割り当てられた人たちは,不平等だって言うんじゃない.」

さらに会話は続く.そして,しばらくたったとき,「先生は,どう思う?」と振られた.

「皆の話,すごく面白くて,すごく大切な議論.教育の世界でも,平等って何かを巡ってこうした話は繰り返されてきたんだ.」「へぇー,そうなんだ.どんなことで?」と乗ってきた.

そこで,教育の世界では,業績主義が平等とされているが,その業績の背景に不平等があること,背景の不平等をどのように解消するかに関して議論がなされることなどを話,アメリカの大学においてとられていたアファーマティブ・アクションの例を挙げた.

「アメリカって,そういうことしていたんだ.日本じゃ,そんな話,起きないよね.」

「日本は,そんな問題がないからじゃない?」

「そうかなぁ.よく見えないけど,日本だって何かありそうな気がするけど…」

学生の話は,まだまだ続いた.この夜の会話のことを,今でも覚えている者がどれだけいるかは不明だが,あなたたちはしっかり学んでいたことを,私は忘れない.

 

著者プロフィール

吉田文 (よしだ あや)

教育・総合科学学術院 教育学部 教授
専門分野:教育社会学
https://w-rdb.waseda.jp/html/100000955_ja.html