読む、そして議論する

2022年02月22日/ 吉田文

大学に入ったからこそ手にとる機会がある、だけれども、おそらく1人では読み進めることが難しいであろう専門書を読もう。ゼミの3年生にはこう呼びかけて、専門書を読んできた。だいたい、1回に1章。全員が読んできてゼミに臨むことになっており、毎回の担当者が要約を作成しゼミで議論したい論点を考えてくることになっている。

ある年、教育社会学では古典に属するともいえる1958年にイギリスで出版された『メリトクラシー』を扱った。前半はそれまでの史実によるフィクション、後半は半世紀先の社会を想像したノンフィクションであり、身分など出自によって決まっていた社会的地位を、個人の業績にもとづいて配分することが平等だとする社会への移行過程を追い、それを一層追求することでどのような社会が到来するかを描いたものだ。

「メリット=IQ(知能)+努力」という定式のもとで、IQの測定が精緻化し、よりIQの高い子どもを持つためにIQの高い結婚相手を探すようになるという将来予測のくだりには、皆笑いつつも、笑えない事実があることが議論になった。

「うちの親が言っていたけれど、昔は三高がもてる男の条件だったそう。学歴が高い男性と結婚することは、頭のよい子を持てる条件ってこと。だから、『メリトクラシー』が言っていることはあながち嘘ではない」、「でも、今は三高なんて言わないよ」、「でも、付き合う人って自分の交流範囲にいる場合が多いから、そうすると結婚する人も似たような背景をもつ場合が多いんじゃないかな」、「そうすると子どもの教育に関しても、高学歴者は熱心になるだろうし」、「『メリトクラシー』にあるように、勝ち組と負け組に二分した社会になっていくんだろうか」。

確かに、彼/彼女たちの議論にも一理ある。一種のディストピアとして書かれた『メリトクラシー』であるが、半世紀を経た現在、現実になっている部分があることは否定できない。

 

著者プロフィール

吉田文 (よしだ あや)

教育・総合科学学術院 教育学部 教授
専門分野:教育社会学
https://w-rdb.waseda.jp/html/100000955_ja.html