70周年記念の年に

2022年03月22日/ 矢口徹也

現在の生涯教育学専修は、1952(昭和27)年に教育学科社会教育専攻として発足した。今から70年前、戦後の教育変革期のことである。この写真は、第1期生が社会教育実習のために神奈川県真鶴町公民館を訪問したときのものである。

社会教育専攻第1期生、夏の社会教育実習(神奈川県真鶴町公民館、1953年)

社会教育専攻第1期生、夏の社会教育実習(神奈川県真鶴町公民館、1953年)

前列右から3番目が実習担当の岡本正平で、社会教育連合会事務局長として全国の公民館設置に尽力した人物である。学生には、社会人経験者、また、戦後初期の4年制大学としては多数の女子学生が在籍していた。

早稲田大学教育学部の前身は高等師範部(1904~)であり、1949年に新学部に改組されて、教育研究と教員養成を担うことになった。当時の教育界では、戦前からの中央集権的、軍国的な性格への反省があり、その際に注目されたのが社会教育だった。「教育は、学校、子どもに限られたものではなく、おとな、女性、若者が自主的に学んでいくこと」という考え方であり、その実現ための公民館、図書館、博物館の整備と社会教育の専門職員(社会教育主事)の養成が課題となっていた。後者については、占領軍の民間情報教育局(CIE)と文部省の方針として、東京教育大学(現.筑波大学)で社会教育主事講習を開催し、並行して早稲田大学に社会教育主事コースがおかれることになったのである。

専攻開設時の専任教員は、政治経済学部の伊藤道機助教授であった。彼は、J.デューイ研究の田中王道、『憲法草案要綱』を作成した杉森孝次郎に師事し、教員となってからは日本における政治教育、成人教育の必要性を論じていた。伊藤は、CIEの教育指導者講習会(IFEL、1948~)に参加し、そこで、CIEの成人教育スタッフたちと議論を重ね、説得されるかたちで社会教育専攻の設立を担うことになった。初期の社会教育専攻のカリキュラムには、社会教育概論、公民館、社会教育調査に加えて、成人教育、婦人教育、青年教育が配当されていた。早稲田大学の社会教育専攻は、戦後に参政権を得た女性と若者の政治教育、主権者教育とも関わっていたことがわかる。

社会教育調査(長野県中土村公民館、1954年冬)

社会教育調査(長野県中土村公民館、1954年冬)

もう1枚の写真は、長野県公民館での社会教育調査である。杖を持った岡本の他に、30代の学生の姿が見える。当時の学生は、教員、公務員、軍隊の経験者、また、出身地、年齢など実に多様であったが、共通していたのは戦争体験だった。そのため、子ども、働く若者、女性たちの地域活動に参加しながら、「新しい」教育のあり方について考える日々を送った。卒業後は、各地の教育委員会、あるいは企業内教育の担当として活躍している。

半世紀の年月を経て、日本の社会教育を取り巻く状況は変化し、早稲田大学でも1999年に社会教育から生涯教育学専修へと名称変更をすることになった。それは、学校教育、社会教育では捉え切れない教育問題が増加し、生涯にわたる学びが社会の切実な課題になっているからでもある。専修の70年のあゆみを振り返りながら、学生のみなさんとこれからの社会教育、生涯教育の可能性について考えていきたいと思っている。

 

著者プロフィール

矢口徹也 (やぐち てつや)

教育・総合科学学術院 教育学部 教授
専門分野:社会教育(青少年教育論,女性教育論)
https://w-rdb.waseda.jp/html/100000529_ja.html