「生涯学習」と私―高齢者の生涯学習・社会教育活動で見つけたこと―

2022年06月07日/ 濱中淳子

生涯教育、生涯学習って幅広い。幅広いから何でもできそうだけど、幅広いから何をやっているのかわからない。そんな方もいらっしゃるのでは?と思います。

そのような方にオススメしたいのが、今回のコラムです!ご寄稿してくださったのは、生涯教育学専修の助手の趙天歌さん。現場を知ることで関心が定まっていく様子がうかがえます。

なにより楽しく現場のみなさんと関わっていらっしゃる趙さんのお話が魅力的。いろんな発見があるコラムになっています。ぜひご覧ください!

 

「生涯学習」との出会い

こんにちは、2011年度生涯教育学専修(学部)入学の趙です。今は早稲田大学教育・総合科学学術院に所属しています。

私の大学生活は「生涯学習とは何だろう?」から始まりました。2011年、東日本大震災の影響で多くの学校は始業を遅らせ、早稲田大学の授業開始も5月からとなりました。余震の多発や放射能の心配などもありましたが、一方で大学新入生としてこれから生涯教育学専修でどのようなことが学べるか、学んだことを将来どのように活かせるかなど、好奇心と楽しみに満ち溢れていました。入学後は専修内の授業の他に、オープン科目(GEC)を履修したり、学校イベントに関わったりすることで、他分野の学生たちと出会う機会にも多々めぐりあいました。そこで、一番よく聞かれたのは「生涯学習とはどのようなことか?」という質問でした。最初は、「生涯学習は生涯にわたる学習です」と言葉通りの意味を答えていました。しかし、何度も同じ質問をされるうちに私は「生涯学習とは何だろう?言葉だけでなくもっと深い意味があるのではないか?」と考えるようになりました。

自分の納得する答えを見つけ出すため、様々な授業を履修していくうちに、本来ならば高度な理解力を要する授業もどんどん楽しく感じられるようになっていきました。授業で震災後の日本社会の復興や地域再生のために生涯学習・社会教育にできることを考え議論をしたり、学習プログラムを設計したりして、多文化教育や国際理解教育、地域教育、教育格差(子どもの貧困)、社会的に弱い立場に置かれるマイノリティの人々(先住民族・少数民族・LGBTQ・高齢者・女性)の教育・学習問題など、多岐にわたる専門領域の知識を吸収することができました。

こうして私の生涯教育学専修での探究の時間はあっという間に過ぎていき、とうとう将来の進路を決める時期を迎えました。私は、就職と大学院進学を選択する場面では迷うことなく進学することを決めました。

生涯教育学専修で広く様々な学問領域に触れたことで、「いつでも・どこでも・だれでも」学びたい時に学ぶことができる「生涯学習」の考え方は、社会と個人の持続可能な発展を支えるための重要なカギであると感じるようになりました。しかし同時に、こんなにも人々にとって重要な「生涯学習」が実際の生活において具体的にどのような役割を担い得るか、どのような影響を与えることができ、どのように感じ取られるかは、人によってまた異なるのではないか…など、知れば知るほど「生涯学習」が自分にとってまだまだ「未知」のことが多く残されているとも感じました。すると、やはりもっと学びたい、研究調査の能力と技法を身につけて自ら生涯学習と社会教育活動の実践現場を調べて課題を見つけたいと思い、大学院の修士課程に進学し、そして今、博士課程に至りました。

 

中国語サークル活動@新座市・福祉の里

高齢化問題が益々深刻になってきていることを背景に、私は、高齢者がいかに自己効用感を獲得して生きがいの感じる生活を送れるかという点に注目しています。大学院(修士と博士課程)では、高齢者教育と高齢者への生涯学習支援を中心に学習と研究を進めてきました。その関係で中国と日本における高齢者の生涯学習・社会教育活動に関わる機会が多く、様々な活動の実践現場を見てきました。

ここでは、埼玉県新座市・福祉の里(社会参加研究室)にある25年以上の歴史を持つ「中国語サークル」を紹介したいと思います。私は、同じ生涯教育学専修出身の後輩の紹介を通して、2019年から「中国語サークル」の社会活動に関わっています。

サークルは60歳代から90歳代までの学習者で構成されており、月2回・毎回2時間(水曜日10時~12時)で活動(中国語学習)しています。活動では、中国語の学習はもちろん、中国と日本両国の文化や社会の状況についても取り上げながら、メンバーたちと一緒に学習と交流をしています。一方的に話を進める講義型の学習ではなく、自由に発話できる雰囲気の中で、参加者全員で質問や解答などを共有し、お互いに助け合い、時には笑い合いながら、自由自在な環境の中で学習が進んでいます。私はメンバーたちの中国語学習をサポートする役ですが、常に発信する立場に徹しているわけではありません。例えば、中国語翻訳の練習をする時、語句の意味や文法の使い方などを説明しますが、それと同時に、メンバーたちからも日本の俳句やことわざ、昔からの言い伝えなどを教えてもらうことも多くあります。まさに〈教え手-学び手〉という役割が固定されることなく、活動を通して、その空間にいる全員が対等な関係をもって互いの人生経験などを活かしながら、相互に学び合える環境が「中国語サークル」の中で実現されています。

中国語サークル

〔2022/5/25筆者撮影〕

新座市福祉の里・「中国語サークル」の成立と活動の趣旨について、創設者兼前代表(現会員)の旭谷さん(90代)は、ほくほく顔で次のように話してくれました。「このサークルは僕が退職を機に開始したもので、今から25年前だったと思いますね。このサークルは楽しむために続けているんでね、…人一番多い時はメンバーが20名も超えていましたよ。」と。この話を聞いて、他のメンバーたちが「ヘ~、そんなに前から…」「(このサークル)本当に長かったんですね…」などと驚きとともに深く感心していたのが印象的でした。

一つのことを長年にわたって継続してさらに発展させていくのは決して簡単なことではありません。25年間という長い活動期間の中で「中国語サークル」は、メンバーの入れ替わりなど経ながらも、高齢の学習者(メンバーたち)自らがサークルとの関わり方や活動の楽しみ方をそれぞれ見出して、1つのコミュニティとしてサークルを発展させてきました。その背景には、この活動に共感するメンバーたちの熱意はもちろん、それを社会教育行政としてサポートし続けてきた〈新座市福祉の里〉の存在も欠かせないものだったのです。

新型コロナウイルス感染拡大の影響で「中国語サークル」の活動は一時中止せざるを得ない時がありました。活動を再開した日のことは、今でも鮮明に覚えています。コロナ禍で私自身も少し生きづらさを感じていたなかで、「活動が中止され、社会参加がまた1つ減ってしまったサークルのメンバーたちは今どうしているのかなぁ…」と心配していましたが、活動再開初日、皆さんの楽しそうな姿を見てホッとしました。私たちは、日本語と中国語を交えながら、活動中止の間の出来事や暮らしの変化、時勢に対する感慨、家の中で中国語(漢詩)を独学した成果などを活き活きと話し合いました。そして、私自身もメンバーたちの温かい笑顔と言葉からたくさんのパワーをもらいました。メンバーの皆さんには本当に感謝しています。

 

私にとっての「生涯学習」

今回のコラム作成を機に、私は「中国語サークル」に関わり始めたの頃のことを思い出しました。当初は、自分が生涯教育学専修で学んだ社会教育専門職の知識と技法を活用して学習支援をしながら、一研究者として高齢者たちの生涯学習・社会教育活動の現場をよく知るチャンスとして生かしたい一心でした。
しかし、「中国語サークル」のメンバーたちと出会って、一緒に学んでいくうちに、その考え方は大きく変化しました。一言でいうと、学習支援を提供して、相手の要求に応えることの達成感だけでなく、自分自身も学習者の一人として活動の展開に関わることができるのであり、その空間を共にする全ての人が、やりがい・楽しさ・効用感をそれぞれ感じながら、〈支援者-学習者〉の垣根なく肯定的な感情を共有できるという、生涯学習活動の素晴らしさを見出すことができたからです。これは、マズローが提唱した最上段階の自己実現欲求につながっているのではないかと思います。高齢者の生涯学習・社会教育活動に関わっている私は、目に見える結果と成功を追求するよりも、年齢にとらわれることなく、日々の生活を有意義に過ごすという生きがいの獲得のために努力する彼/彼女らの姿を見るたびに、心底感動します。そして、私にとっての「生涯学習」の意味とは、まさにこれなんだと思います。
今になって振り返ると、学部時代に生涯教育学専修で様々な授業を履修して、そこで学んだことは、私の世界観の確立を支えてくれたと感じています。大学院へ進学して、その後、研究職を目指しながら頑張ってきた自分を、「生涯学習」の考え方がさらに広い世界へと導いてくれました。
人は生きている限り成長し変化し続けるものです。それは私たちの目の前には無限の可能性が広がっているということです。国を越えて、早稲田大学で教育学部と出会えてよかったです!そして何より、生涯教育学専修で「生涯学習」と出会えたことに感謝しています!

 

著者プロフィール

濱中淳子 (はまなか じゅんこ)

教育・総合科学学術院 大学院教育学研究科 教授
専門分野:教育社会学,高等教育論
https://w-rdb.waseda.jp/html/100001497_ja.html